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「子ども福島ネット」で起きたこと。

私は子ども福島ネットで起きたことを思い出すだけで具合が悪くなるのだけれど、2013年の総会から5年半を経た今、責任を取って退会したはずの前代表Sさんが会への復帰を画策していると知り、私の知っていることを記しておこうと思います。

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島ネット)」は、2011年5月1日に発足した団体です。年間被曝限度が20mSvに引き上げられ、学校が次々再開される中、子どもたちを放射能から守るために、測定、除染、保養、避難、行政や学校への働きかけ等、できることは何でもやろうと、緊急時対策のために立ち上がった団体で、文科省に20m撤回を申入れに行ったり、院内集会を開催したり、放射能の学習会を開いたり、放射能の測定をしたり、事務所を開設したり、1年目はまるで戦場のような騒ぎでした。福島県で真っ先に立ちあがった団体ということもあって、全国からたくさんのカンパをいただきました。活動実態以上の資金を得てしまったことが、今にして思えば間違いの始まりだったのかもしれません。

1. 混乱
私は2011年の結成集会から参加していましたが、1年目は世話人のひとりでした。
2012年、それまで代表を務めていたNさんが北海道に移住することになって、その年の総会で、世話人の中から役員11人が選ばれて(私もそのひとり)、Sさんが新代表に就任したことで事態は変わり始めました。
2012年10月の役員会で、ひとつの問題が表面化しました。Sさんが「福島診療所建設委員会 代表」に就任していることがわかったのです。その診療所が、「中核派」という過激派が運営するものだと知った人たちが、役員会でSさんに確認したところ、「もしも、診療所建設委員会の代表と子ども福島ネットの代表を同時にしてはいけないというのなら、子ども福島ネットの代表の方をおりる」と言い出したのです。私はその月の役員会を欠席したので、後日、議事録を読んで仰天しました。
Sさんの発言を受けて、11月に郡山で「合同世話人会(役員+世話人)」が開かれました。その場でも「Sさんに2つの団体の代表を兼務されては、子ども福島ネットまで世間から白い目で見られる」という意見が、多数の人から出ました。しかしSさんは、みんなの意見に耳を貸すつもりはない様子で、自分のやりたいことを箇条書きで読み上げ、「診療所への関わりをやめる」とは絶対に言いませんでした。
「子ども福島ネットは非暴力を前提としており、いかなる特定の政党・宗教団体、セクト等との関わりはありません」という一文をホームページに掲げようと、役員会で話し合ったのもこの頃のことです。
当時、役員会でこの問題を何度も話し合い、Sさんとは、「子ども福島ネット代表としてイベントに出た場合、診療所のカンパを集めることをしない」という取り決めもしました。
中核派と診療所の問題は、MLでも話題になっていて、「子ども福島ネットと中核派が同一視されることはやめてほしい。そんなことをされては、行政との協働も拒否され、支援者からの寄付もなくなり、『子どもを守れ』という訴えに耳を貸す人がいなくなる」と、中核派との関わりを危惧する投稿が増えていました。そして、多くの人たちが危惧した通りに、ネット上では「子ども福島ネットは中核派だ」という書き込みが多く見られるようになっていきました。
私たち数人の役員は、役員会で「中核派との決別」を繰り返し主張していました。中核派の別団体NAZENの呼びかけ人になっていた前代表のNさんと、Sさんと、役員のCさんには、呼びかけ人を降りるよう説得もしました。N前代表は説得に応じて呼びかけ人を降りてくれましたが、SさんとCさんは子ども福島ネットの肩書きだけは外したものの、呼びかけ人は頑として降りませんでした。

2. 流会
2013年3月2日に開かれた総会は紛糾しました。監事が「不承認」の監査結果を突き付けたのです。
監事の一人は、12年の末頃から「このままでは総会に間に合わない。早く領収書だけでも見せて」と決算書作りを急かしていましたし、「会計で手伝えることがあれば手伝うから」と投稿する世話人もいましたが、そうした声はSさんに黙殺されていました。そしてSさんがひとりで抱えることになった決算書作りは遅れに遅れて、総会当日にようやく出来上がりました。
当日刷り上がった決算書を「すぐに監査をしてその場で承認しろ」というのでは、認められないのも当然だし、厳しい言葉で綴られた「不承認」の報告書も仕方のないことだったと思います。Sさんは監事らから問い詰められて「現金出納帳はつけていない」と認めました。当日、役員はみんなで謝罪して、総会は流会になりました。私は問題となった決算書の状況がわかりませんでしたが、「すべてをSさんに任せきりになっていたことが悪かった」といった謝罪を口にしました。
流会後は、「決算書のどこがいけなかったのか、会計の専門家に見てもらおう」ということになりました。専門家数人が候補にあがる中で、議長団が推薦する東京のYさんが、会計のプロであり、市民運動の会計を担った経験もあり、子ども福島ネットとは完全に無関係で中立の第三者であることから、会計の透明性を担保でき、適任だろうということになりました。
決算書の精査を役員会からYさんに依頼することになって、福島市の子ども福島ネット事務所に来てもらったのは3月31日のこと。私はそこでYさんに初めて会いました。Yさんには決算書や弥生会計ソフトのデータなどを持ち帰って見てもらうことになりました。
この日、Sさんからは、突然「約78万円の手持ち現金がある」「すぐに返金することができる」と告げられ、私にはもう何がなんだか、ますます状況が理解できませんでした。

3. 不信
この頃の私は、会計の専門家に見てもらえば正確な決算書が整い、監事たちにも納得してもらえ、次回開催する臨時総会ではすんなりと承認されるものだと思い込んでいました。しかし、そんな考えが甘いものだったことは、4月21日に行われたYさんの中間報告でわかりました。現金をゼロにするために架空の保養費用が計上されたとしか思えない決算書、それを総会後に次々と改竄していた事実を知らされ、Sさんに対する信頼は完全に崩れました。指摘された改竄部分は、不正を隠す意図をもって行われたとしか思えないものでした。
そもそもそれ以前から、Sさんへの信頼は私の中でかなり揺らいでいました。「子ども福島ネットと診療所を混同させることはしない」と役員会で約束しておきながら、子ども福島ネット代表としてイベントに出ては、診療所のカンパを集めていたのです。そのことを追及すると「カンパは集めていない」とウソをいい、動画サイトでウソの証拠(カンパを集めている映像)を見つけて指摘すると沈黙する、「主催者が勝手にカンパを集めた」と言い出す…。謝罪もなく、誠実さもなく、常に自分の正当性だけを主張する…。また、「役員に相談なく地方懇談会の日程を決めないで」といくら頼んでも、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)が一切なく開催を決めてくる…。そうした勝手な振る舞いを謝りもしないし、正すこともしない…。そんなことが何度となく続き、Sさんへの不信感を募らせていました。
でもまさか、大切な浄財の「会計」にまで、ウソやごまかしがあるとまでは思ってもいなかったので、Yさんから知らされた事実に打ちのめされました。
4月29日、役員と監事が集合して行われた報告会では、Sさんは「自分の財布と活動の財布が一緒になってしまっていた」という衝撃的な告白をして、役員の一人が提案した話「自分がやっている介護のNPOの仕事が忙しくて、代表を降りたことにしてはどうか」に乗りました。副代表のHさん(のちに代表代行)が事務所の引き出しから紙とペンを取り出して渡すと、その場でスラスラと代表辞任届を書きました。この時、引責辞任を公表しないことにホッとしたのか、Sさんには笑顔すらあったことを思い出します。
後になってSさんは、「代表を辞めなければ決算書を書かないといった恫喝や脅迫があった」と主張するようになりました。そんな脅迫はなかったし、もしSさんが脅迫だと感じたというのなら、よほど後ろめたいことがあったのだろうと思います。
6月1日になって、「ふくしま共同診療所の記事が週刊ポストに出るらしい」という噂が東京方面から聞こえてきました。私は、中核派とつながりが深い役員CさんとSさんの2人には、もう会を辞めてもらうしかないと思いました。過激派が運営する診療所に関連する団体として、警察から子ども福島ネットが捜査されるようなことがあれば、子どもたちを守る活動などできないと思って、2人に退会を強く勧めました。役員のCさんが「もちろん、辞めますよ。もちろんですよ!」と即答したことをはっきりと覚えています。

4. 臨時総会
私は6月9日の臨時総会は欠席したのでどんな状況だったかわかりません。たいそう紛糾して、時間をオーバーしても議事が終了せず、7月20日に臨時総会の続きが行われることになったことを、後で知りました。
7月20日の臨時総会には私も参加しました。Sさんが書いた手記を代表代行のHさんが参加者全員に配りました。手記の中身は、会計の言い訳とお詫びと、中核派の活動を称賛するもので、「この期に及んで、まだ中核派礼賛なのか」とうんざりしたことを覚えています。
会計報告をホームページに掲載することは、全会一致で承認されました。その当時から、Sさんを擁護していた人たちもなぜか反論せず、すんなりと決まったので、このホームページ掲載が後で裁判沙汰になるなんて、とても信じられないことです。
この日、臨時総会決議として「2012年度代表は、会への不信や混乱の責任を取り代表を辞任し、また、当ネットワーク活動の独立性についての誤解を拡大した責任を取り退会しました。今後も同様の誤解や不信を新たに招く言動をしないよう要請します」が決まりました。しかしこの要請は、この後、まったく守られませんでした。Sさんは「自発的に辞任や退会をしたのではない」とゴネ出し、大袈裟な作り話を始めたのです。

5. 裁判
臨時総会で、会を正常化するために選出された13年度の代表世話人6人は、正常化どころか、12年度までのゴタゴタを引きずり、会議も遅々として進まない様子でした。その原因の一つは、ゴネ続けるSさんにあると思います。退会当時は「会計を混乱させたこと、中核派の関わる福島診療所の呼びかけ人であったことの、二つの原因の責任を取って退会する」と、Sさん自身も周囲に説明していたはずです。しかし、その後にSさんの記憶が塗り替えられたのか、「これが真実」といった手記を、メーリングリストに投稿したりFacebookに上げたりするようになっていきました。手記を書く度に、「Yさんから脅迫めいた言葉」「Yさんが恫喝」といった話が加わり、表現がオーバーになり、事実を捻じ曲げていきました。さらには「1000万円横領の噂がある」など、私たちが聞いたこともない金額をあげるようになりました。1000万円という数字がどこから出てきたのか知りませんが、不正話を大きくしているのはSさん自身だと思います。会計についても、さまざまな言い訳や後付けの金額を出してきました。しかし私にとっては、会計の改竄を認めて代表をすごすごと辞任した姿、あれこそが「真実」であり、この記憶は揺らぎません。
そしてとうとう、臨時総会の決議に従って会計報告をホームページに掲載しただけの共同代表4人を、Sさんは名誉棄損で訴えました。この裁判はスラップ裁判だと思います。こんな理不尽な裁判に巻き込まれた4人の共同代表が、気の毒でなりませんし、この裁判のせいで、子ども福島ネットは完全に機能停止に陥りました。
会計に改竄があったこと、それを認めて引責辞任したこと、自分自身の中核派との付き合いによって子ども福島ネットに不信感を与え、子どもたちを守る活動をしている大勢の保護者たち、全国の支援者、支援団体に迷惑をかけたことは、紛れもない事実だと思います。Sさんにはいい加減に事実を認めてほしいと思います。

6. 最後に
今、Sさんが再入会を求めていると聞いて心の底から仰天しています。
Sさんの過激な活動によって、子ども福島ネットには中核派の色がつき過ぎたというのに、2013年の総会以降も中核派の活動に関わり続けているSさんが復帰するなら、子ども福島ネットは、完全に中核派関連グループとして見られるようになると思います。それは、福島の子どもたちを守る活動を粘り強く行っている他の団体にとって、迷惑でしかありません。
もう子ども福島ネットにしがみつくのはやめて、それぞれの立場で、それぞれの活動をすればいいではないかと思います。子ども福島ネットが内紛を起こして6年余り活動を停止しているうちに、様々な市民団体が立ち上がり、必死に活動しています。そうした市民団体の邪魔をすべきではないし、緊急時対応のために立ち上がった子ども福島ネットの役割は終わっていると思います。
先日、2018年10月21日の臨時総会は定足数不足で流会しました。中核派と関わり合いになりたくないという思いもあるでしょうし、正会員の多くが、この会の今後に関心をなくしているのだと思います。そろそろ、幕を引く時がきたのだと思います。
Sさんは、自分の責任で、自分の信念のまま、自由に中核派と関わればいいし、診療所の活動もすればいいし、中核派の3.11反原発福島行動や、8.6ヒロシマ大行動等の活動で発言したらいいと思います。「中核派とは関係がありません」と、脱セクト宣言をしている子ども福島ネットに復帰することなど、本当にありえない話ですし、万が一にも中核派メンバーが子ども福島ネットに入会することなどないようにお願いしたいです。それは「福島の子どもたちを守る」という、そもそもの初心に反する行為だと思います。

以上(転載や流用を禁じます)
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プロフィール

やいちゃん

Author:やいちゃん
福島県郡山市在住フリーライター、国会ウォッチャー、東電裁判傍聴人。
好き「平和、自由、仲良し」
嫌い「カルト、セクト、マルチ、アベ政権、核」

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